自明の理

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先日カーラジオを聞いていたらテレホンタイムで、ある母親が子供に「学校給食はお金を払っているんだから・・いただきます・・なんて言わなくてもいいのよ」と言った・・という話があった
それを聞いて私は思わず、大声で「この馬鹿野郎!」と叫んだ
キャスターもゲスト出演していた若い女性タレントでさえも、異口同音に「ばっかじゃないの」と反応した
しかし、当の母親は何の悪怯れもなく真面目にそう思っているのである
こういう母親は、ハハオヤではなくバカオヤとして分類して、隔離教育をする必要がある
この親に育てられた子供は、将来どういった大人になるか・・自明の理である
早く”そういうことではない”と言う事を誰かが判らせてやらないと、この子の将来がだめになる

年をとるとあちこちに「心配ごと」が出てくるものである


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この記事へのコメント

地下水
2012年09月12日 15:46
 自明の理

 理論をつくるとき、あたりまえの事をはじめとして、演繹してゆく。例えば、平行線は交わらない、という公理をはじめとして、ユークリッド幾何学が構築されてゆく。1+1=2も、あたりまえだが、これを温めて全加算回路で自動化してゆくとコンピューターができ、様々な生活機器に付加されて、非常に役立っている。
 自明の理は、形式的なものばかりではなく、実際的なものにもある。例えば、人は食べねば生きられぬ、というのもあたりまえである。これをはじめの自明の理として、農業や食品産業に従事する事の、必要性と意義を演繹してゆける。この農業を深く追求して、温め続けて、一万6千個トマトの成ったトマトの木や、百個メロンの成ったメロンの木などを作り出した、ハイポニカ農法もできてきた。
 生き物の幸せの基本は健康である、というのもあたりまえである。ここから、医療や健康食品や、清潔の為の御風呂や洗濯機などの使用が演繹されてくる。
 存続してきた人間を考えるとき、当然、人間は生まれ、育ち、学び、結ばれ、産み、育み、送り、働き、食べ、老い、死にゆく者であることが、みちびかれる。それぞれの局面が人生の中にあり、そこからまた仕事がみちびかれ、意義が示されてくる。
 あたりまえを見つけ、あたりまえを温め続けて、あたりまえをあたりまえと忘れずに、あたりまえを深めてゆきたい。

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